「皆さんこれが最後です さようなら さようなら」(九人の乙女の碑文)
この史実にふれるとき、皆さんはどのように思われるでしょうか。
戦いは終わった。それから5日昭和20年8月20日、ソ連軍が樺太真岡上陸を開始しようとした。その時突如日本軍との間で戦いが始まった。
戦火と化した真岡の町、その中で交換台に向かった九人の乙女等は死を以って己の職場を守った。
窓越しにみる砲弾のさく烈、刻々と迫る身の危険、今はこれまでと死の交換台に向かい「皆さんこれが最後です さようなら さようなら」の言葉を残して静かに青酸苛里をのみ、夢多き若き尊き花の命を職に殉じた。
戦争は再びくりかへすまじ、平和の祈りをこめて尊き九人の乙女の霊を慰む。
(慰霊碑の由来)
昭和20年8月、ソ連軍によって国境の静寂が破られ、戦火は真岡の町にも広がりました。終戦5日後の8月5日、刻々と迫る身の危険の中、真岡郵便局の電話交換手は最後まで交換台に向いましたが、「皆さんこれが最後です さようなら さようなら・・・・・」の言葉をのこし、自らの命を絶ちました。
(九人の乙女の碑案内文要約)
古今、上にたつものの責任のなさを嘆かざるを得ませんが、三十数年ぶりに訪れた望郷の丘は、ハマナスとアルメリアの桃色の花で飾られていました。晴れた日には水平線のかなたに、サハリンの島影が見えます。



コメント
真岡郵便局の九人の乙女達の壮絶な最期・・・それが終戦後5日後に・・・
史実をもとに作られた映画やTVドラマでも放映されていたのですね。
正直、私は知りませんでした。
少し検索してみました。
ご冥福を祈らずにはいられません。
昭和天皇の詠み歌
『なすべきを なしをへてつひに 命たちし
少女(をとめ)のこころ わが胸をうつ 』
香淳皇后の詠み歌
『樺太に つゆと消えたる 少女らの
みたまやすかれと ただにいのりぬ 』
オイラも何度か行きました。
戦争で国土を獲ったり取られたり その度に犠牲者が・・
時の一握りの人間によって引き起こす、戦争!
戦争が無ければ 護国神社もいらない!
時々 軍国主義が頭を擡げて 怖いです。
これは、先の大戦に特徴的なことなのかもしれませんが、サイパンや沖縄のほか
一般の人を巻き込んだ「自らの命を絶つ」事件ですよね。
九人の乙女の碑の隣には、樺太で亡くなられた人たちを慰霊する「氷雪の門」が
建てられ、同日に落成しています。
昭和43年に昭和天皇、皇后陛下が稚内公園を行幸を記念する行幸啓記念碑に
刻まれている御製は、別の歌です。
それにしても、平和ボケしている頭に、稚内は国境の街であることを再認識さ
せられます。
国民の命を守る事が一番重要なのに、何故?と思います。
国を守るために命をささげる事は尊いことと教育されてきたんですよね。
本当はもっと生きたかったでしょうに・・・
現在の日本でも戦争をやりたがっている人はいるようなので、国民は気を付けてなければ。
平和ボケしている日本と言われても、私はどんな堕落した平和でも戦争よりはましと思います。
必要なのは軍隊では無く教育のように思います。
何かのために「命をささげる」ことがあるのかも知れない。
でも最近「命をかけて」と言いつつ、「なすべきこと」を
しない偉い人に、うんざりすることが多いです。